当館は明治3年、現在地より少し下の南甫園の地に石村旅館として開業しました。
当主は江戸時代、箱根裏関所の常番頭をしており、明治初期に大涌谷で温泉開発をし、そこより引湯し湯治場として営業をはじめたものです。
大正2年この地に移り、仙郷楼と改称しました。このため私共は仙石元湯場といわれます。
戦前の仙石原は政財界の方々の特殊地域であり眼前の仙石ゴルフコースは昭和天皇が各国外交団と共にプレーをなされました。
当館を御利用された方々は政財界人、画家、文学者も多く渋沢栄一、大倉喜八郎、住友吉左衛門、山縣有朋、原敬、平沼騏一郎、また結城素明、小室翠雲、鏑木清方、安井曾太郎、徳富蘇峰、久米正男、海音寺潮五郎、高見順などです。(敬称は省略)
この地仙石原は富士箱根伊豆国立公園の特別地区にあたり環境規制の強いところであります。そのため建物の高さ制限、色、装飾あるいは看板なども強く制限されています。
当館の前面には箱根外輪山がひろがり、緑濃く、裏山は秋には紅葉が美しく、敷地1万5千坪にはつつじ、しゃくなげ、ふじあるいはマメザクラなど数々の花々が季節ごとに咲き乱れます。
近くには箱根ガラスの森、箱根湿生花園、星の王子さまミュージアム、ポーラ美術館、芦ノ湖、大涌谷、金時山やゴルフ場(箱根湖畔ゴルフコース、箱根カント リークラブ、大箱根カントリークラブ、仙石ゴルフコース)などハイキングやゴルフ、テニスなどのスポーツ、また美術鑑賞などにも最適でございます。
仙郷楼は、明治45年に大涌谷から引湯に成功し、仙石原の観光開発の一助となりました。
その後私共仙郷楼を含むいくつかの旅館・箱根登山鉄道㈱など当時大涌谷に温泉権を所有していた人びとにより大涌谷からの湯引管が共同出資され、さらに、渋沢栄一氏を始めとした渋沢・三井・益田の三家、それに大倉組代表者等が発起人となり現在仙石原・強羅エリアに温泉を供給している「箱根温泉供給㈱」が設立されました。
様々な方々の努力と結晶により大規模な給湯そして奥箱根の開発が行われました。
2021年11月12日の朝日新聞(神奈川版)に仙郷楼と大涌谷の温泉と渋沢栄一翁のことが掲載されました